第113回 行政裁量とは何か

  今回は、行政行為についてしばしば問題となる行政裁量についてのお話です。今までの回にもしばしば登場しましたね。何となく、イメージはつかめていると思いますが、この回でしっかりマスターしましょう。

  今回は「行政裁量とは何か」、次回は「裁量権の逸脱・濫用の判断基準」――と2回に分けてお話しします。

  行政裁量とは、一言で言えば、行政行為を行うに際して法律により行政機関に認められた判断の余地のことです。

  行政機関に裁量を認めることは、必ずしも良いことばかりではありません。行政機関は、歴史的に見ると国民の権利を侵害するおそれが強い機関と言えますので、法律によって行政機関を拘束した方が、国民の権利を守ることができるとの見方もできます。この考え方から導かれる行政の原則が法律による行政ですが、これを徹底するためには、行政には覊束行為、つまり裁量の余地がない行為だけを許すことにした方が良いということになります。
 

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  しかし、行政府に判断の余地を与えたから直ちに国民の権利が侵害されるとは限りませんし、法律以外でも、例えば国民の批判とか、議院内閣制による内閣へのコントロールなど、不当な行為を許さない力は、様々な形で存在するわけですから、法律ばかりに頼らなくても人権の保障は可能なわけです。

  また、法律は改正に長時間かかるので、行政活動にすべての法律の根拠が必要とすると、そのルールが時代に合わなくなってきたときに素早い対応をすることができません。さらに、現代の複雑な社会においては、そもそもすべてを法律で規定し尽くすこと自体が無理と言えます。

  現代では、行政に求められることは、ゴミの収集、子育て支援、老人や障害者福祉のような身近な問題から、外交・国防まで――と複雑多様であってその中には高度で専門的問題も出てきます。このような場合には、行政庁の知識と判断能力に期待する方が迅速かつ妥当な解決を期待でき、かえって国民の利益になると言えます。

  そこで、行政をうまく実施するには、現場の判断を尊重することが望ましいことが少ないない――ということから、行政庁の自由な判断に従って判断する余地を認めたものが、行政裁量です。

  次に、行政裁量に関わる行為について順を追って説明したいと思います。

  まず、先ほど、裁量が認められない行為として覊束行為という言葉を使いましたが、これは裁量行為の対語といえる言葉です。つまり、法律が行政機関に政策的・行政的判断の余地を与えない、法律による厳格な拘束を受けた行為のことです。一言で言えば、法律によって具体的に指示されたこと以外は一切行えない行為のことで、その例として、建築確認が挙げられます。
建築確認は、建築されようとする建物が、適法がどうかの確認するだけの行為です。まさに、覊束行為の典型です。

また、損失補償は、補償の額を行政庁の判断で増減することはできませんので、これも覊束行為ということができます。

  これに対して裁量行為とは、法律が行政機関に広範な授権をしているので、行政機関の政策的・行政的判断によって行われる行為ということができます。

この裁量行為には、

①要件裁量

②効果裁量――という分類があります。

  ①の要件裁量とは、要件が充足されているかどうかの認定における裁量のことです。

  一方、②の効果裁量とは、行政行為そのものを行うかどうか、行うとしたらどのような行為を行うかの認定における裁量のことです。

例えば、「医師が医師としての品位を失うような行為を行った時には、厚生労働大臣が免許を取消したり、期間を定めて医業の停止を命ずることができる」という規則があった場合、品位を失うような行為とはどのような行為かを行政庁の判断に任せるなら、要件裁量に当たります。
一方、免許の取消しか、営業停止か、またはいずれの処分もしないかを行政庁の判断に任せるなら効果裁量の一つといえるのです。

ただし、行政が複雑化した現在では、要件裁量か効果裁量かをきっちりと決めるのは難しくなってきており、少なくとも、事例問題の処理ということに関しては、それほど重要な概念ではないと言えそうです。

  さて、話は、覊束裁量と自由裁量の分類に移ります。

覊束裁量行為は前述の覊束行為とは異なり、一応裁量の存在が予定されているものを指しますが、それは文言上のことであって覊束という言葉からも分かるように実は法が行政を拘束しているのです。

具体的には、法律が客観的な基準(明文には表れていなくても、通常、人が社会通念で、その基準を満たすかどうかを判断することができる基準)を定めていて、その基準に従うことを求めているものが覊束裁量と呼ばれるものです。

一般人でも判断ができるような法基準に従って行政行為を行わなければならない、となると行政が独断で判断して行為をするわけではないので、裁量行為とはいえ、その裁量の余地は、通念上の基準に合致するかどうかの判断しか認められないことになります。

さらに、この基準は法が定めているので、この基準に反した場合、つまり裁量を誤った場合は、その行政行為は違法と評価されます。覊束裁量は、客観的な基準によるので、裁判所の判断と同様と考えられるため、法規裁量と呼ばれることもあります。

覊束裁量の例には、運転免許の取消し、皇居外苑の使用許可、農地賃貸借の設定・移転の許可――などがあります。ただし、これらはすべて行政学上の許可に含まれるものということに注意してください。というのは、許可は、本来国民の自由に任せるべきところを、特別に制限したものを解除することです。ですから、言い換えると、自由を制限できるのがどんな場合かは、客観的な基準によって決められるべきだ――と言えるのです。

一方、自由裁量は、どのような行政行為をいつするかという点について、純粋に行政庁の政策的・専門的判断に委ねられた裁量のことです。法による拘束がないことから、法規裁量に対して便宜裁量とも呼ばれます。

この場合、行政府は何が行政の目的に合致し、公益に適するかを、専門的な立場から自由に判断することになります。一般人にとって判断可能な基準に従う必要はありません。

ということは、少々裁量を誤っても、誤ったことの判断は法に照らしては行えないことになります。このように、裁量を誤ったにすぎない行政行為を違法行為に対して、不当行為といいます。

当・不当の判断は、法に照らして判断することができないので、原則として不当行為に司法審査は及ばないと言えます。

  覊束裁量と自由裁量を区別する理由は、かつては司法審査が及ぶか及ばないかを分ける基準とされてきましたが、今日では、覊束裁量は裁量の逸脱や濫用が認定しやすく、自由裁量では逸脱や濫用の認定が難しいと言う差くらいしかありません。

行政法113-1

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