第28回 生存権・教育を受ける権利とは

  内容のつまった自由権の勉強が終わり、今回から2回にわたって社会権を学びます。

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  社会権は、社会的弱者が人間に値する生活を送れるよう国家に一定の配慮を求める権利のことです。社会権には、①生存権、②教育を受ける権利、③勤労の権利、④労働基本権――の4つがありますが、今回は、生存権と教育を受ける権利を解説します。

 

Ⅰ.生存権

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  生存権とは、ずばり憲法25条1項に書いてある「健康で文化的な最低限度の生活を営む権利」です。社会権として取り上げたこの生存権には、実は次の2つの側面があります。

①国民は各自、自分の手で健康で文化的な最低限度の生活を営む権利をもっていて、国家がそれを邪魔してはいけない

②国民は、国家に対して、健康で文化的な最低限度の生活の実現を求めることができる

①は自由権的な側面で、法としての拘束力を持つ法規範性と具体的な争訟の基準として裁判所によって執行が可能な裁判規範性があると言われています。

②は社会権的な側面で、これには、2つの解釈が存在します。
1つは、プログラム規定説で、②の社会権としての側面を認めず、25条は国家の政治的・道義的な責任を宣言したに過ぎないとする考えです。すなわち、健康で文化的な最低限度の生活はその時代時代によって変化していくので、社会権としての生存権は、例えば生活保護法などの具体的な法律の制定が行われて、国家に対して請求できると解釈しています。

他方、具体的権利説では、②の社会権としての生存権も25条を根拠に保障された具体的な人権だとしています。

  判例は、①のプログラム規定説を採用していますが、その例として、「朝日訴訟事件」と「堀木訴訟事件」の2つを紹介します。

  「朝日訴訟事件」は、朝日さん(原告)は国から月600円の生活保護給付金を受領して生活していましたが、月々600円での生活は困難だったので、保護給付金の増額を求めましたが認められなかったため、月600円の生活給付が憲法25条で規定している健康で文化的な最低限度の生活の維持に値するか否かを問うた事件です。

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  この事件は、裁判の途中で原告が死亡し、訴え却下となりましたが、念のためとして傍論として判示が延べられ、25条の解釈(プログラム説の採用)として引き継がれています。

  さて、もう一件の「堀木訴訟事件」は、原告である堀木さんは、視力に障害があって、昭和45年当時の「国民年金法」に基づいて障害福祉年金を受給中、離婚しました。その後自らの子供を養育していたことから生別母子世帯として児童扶養手当も受給できるものと思い知事に対し請求しました。しかし、当時の児童扶養手当制度には手当と公的年金の併給禁止の規定があったことから、児童扶養手当の請求が認められなかったことで、この処分を不服として提訴しました。

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  この事件で、25条に関しては朝日訴訟事件の傍論を踏襲し、25条の規定は権利ではなく責務を定めたに過ぎないとして権利性を否定したプログラム規定説に近い立場をとっています。また、この判例は、正面から25条と社会保障制度の関係を扱ったことで、後の社会保障と25条の関係で争われた訴訟でしばしば引用されており、最高裁のとる25条の違憲審査基準を示した判決として重要な意義を持っています。

 

Ⅱ.教育を受ける権利

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  この教育を受ける権利も、

①国民が自己の望む教育を受けることを国家によって妨害されないという自由権的側面

②国民は国家に対して合理的な教育制度を整備することと、その制度の下で適切な教育を受けることを要求することができるという社会権的側面

――を持っています。

  ここでいう教育には、子供が学校で受ける教育に限らず、家庭での教育、社会教育、成人してからの教育(生涯教育とか言われていますね!)も含まれます。現在ではさらに、自分の力では教育を受ける機会を確保しにくい子供が、教育を受けて学習し、人間的に発達・成長していく権利=学習権として捉えることもあります。

  26条1項の能力において等しくとは、従来は、憲法14条の平等原則が教育に関して及ぶことを確認したものと理解されていました。しかし、現在では、上記の学習権の観念が広く認められるようになってきたので、単に教育に関しての平等原則の確認だけでなく、子供の心身の発達に応じた教育の保障と理解されています。分かりやすく例えると、身体に障害を持つ児童が教育を受けるために、一般的な児童の場合以上の設備を整えることを国家や公共団体に対して要求できること――などです。過去に、重度の身体障害を負った児童が公立高校を受験した際に、身体障害があることを理由に全過程を履修する見通しがないことを理由に不合格とした処分の違憲性が問われた事件がありました。この事件は、下級裁判所での裁判でしたが、障害があってもその能力の全面的な発達を追求することが憲法で保障されているとはっきり結論されました【神戸地判平4.3.13】。

  26条2項は、1項の教育を受ける権利、特に子供の普通教育を受ける権利を実質化させる規定です。

  子供にとっての普通教育を受ける権利は、親権者にとっては「保護する子女に普通教育を受けさせる義務」であり、国家にとっては「子供が義務教育を受けることのできる制度を整備する義務」を意味します。

  この国家にとっての義務教育制度の整備の一環として「義務教育の無償」が規定されているのです。この無償については、どの範囲を無償とするかについて意見が分かれていますが、判例では、教育の対価である授業料の無償が保障されているとしています。

  ここまで、26条を見てきましたが、教育の自由に関しての憲法上の規定が見当たりません。しかし、これについては、この26条で、いや13条(幸福追求権)で、いやいや23条(学問の自由)で、はたまた、教師の教育の自由は23条で、親の教育の自由は26条で――と見解は、さまざまですが、一貫して教育の自由は憲法で保障されているとする点では一致しています。

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